雑感

大阪万博

2025年4月に開幕する、大阪万博「2025年日本国際博覧会」まであと200日を切った。大阪湾に位置する埋立地「夢洲(ゆめしま)」で開催され、150カ国以上が参加するというけど、先月の時点で約47カ国が建設の着工すらできておらず、先々不透明な状況だ

個人的には「空飛ぶクルマ」に期待していたけど、安全審査の遅れなどが影響し、商用飛行は断念されたらしい。洋上の開催が幸いし無乗客によるデモフライトだけは行えるらしいけど

1250億円だった当初予算も、現時点では物価高騰や人件費の増加などの影響で大幅に膨らみ、最終的に2兆円近くかかると言われている。一般企業の事業なら撤退を迫られるところだけど、ここまで来たら後に引けないよね。それで大勢の人が来場すれば良いが、ネットで新技術が流れる現在、わざわざ出向いて見る人も少ないと思う

それとは対照的に1970年に開催された大阪万博「日本万国博覧会 (Expo ’70)」は未来的なデザインの建物や最新技術展示などで大盛況、当時僕は小学生なのに夏休みに4回も行った。その頃から「カメラ小僧」で写真を撮るのが楽しくて仕方なかった

会場はどこも人にあふれ、アメリカ館で「月の石」を見るだけで1時間も並んだなぁ。それでもその時のネガを見ていると、当時は撮影の制限が少なかったのか、自由に撮れているのだよね。時代を感じる

アメリカ館で展示された人類初の有人月周回船アポロ8号

今じゃ新鮮味もないけど、「動く歩道」で会場内が行き来でき話題性もあったが、それは大失敗だったね。体験しようという人であふれ、開幕から11日後には将棋倒の事故が発生。そのうち「動く歩道では立ち止まらないで!」というアナウンスが流されるようになり、歩く歩道」とディスられるようになったなぁ

当時は外国人が珍しく、今じゃありえないけど、外国人を見かけたら手帳とペンを渡してサインをもらうというのが子どもの間で大流行した。別に有名人でもなんでもない外国人だよ。修学旅行で来場している子供らなどは、10人ぐらい列をなしてサインをもらうのだから相手もびっくりするだろうね。記入も、当時「スパイ手帳」という、本物のスパイ道具という設定で子どもに大人気の手帳があり、それにサインしてもらうのが王道だった。万博、外国人、スパイ手帳というパズルがみごとに重なり、「これからは国際化の時代だ!」なんて僕も思ったな

夏休みが終わり、登校すると先生が「万博行った人」と聞きクラスの6割くらいが手を挙げてた。ほとんどが「1回行った」と答え、僕の「4回」は最高記録だった。加えて外国人のサインを見せびらかし、その頃から「いちびりのカメラ小僧」という僕は何も成長できていない気がする(「いちびり」=関西で言う、ふざけた目立ちたがり)

夏休みの自由研究は、多くの児童が万博のパビリオンの模型で、僕も紙粘土で「太陽の塔」の巨大模型を提出した。スゴイのが116のパビリオンをすべて製作した友人がいた。作業が大変すぎて万博に行く暇がなかったというオチもあるけれど

そういう盛り上がった記憶を持った人たちが、55年の時を経て次の万博の運営側に立っている。僕としては静観するつもりだけど「さすがに間に合わないのはまずいでしょ」とは思っている。ここまでくると運営側の会議では「いかに責任を取らずに交わすか」が内々の議題になったりする

最終的にどのような着地点に収まるか?救いは日本から出展するパビリオンは工期の遅れはあるものの、間に合いそうなところだ。間に合わない国は「タイプX」という簡易パビリオンが提案されているので、国際見本市じゃないけど「一応出展しました」という設定になるだろうね。これじゃ「日本博覧会」だね 。でも何が合っても約束通りに完成させる日本のパビリオンに対し少しだけ誇らしげに思うけどね

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