スマホが身近になり、誰でも写真が一瞬で発信できるようになった。おかげで新聞社では、撮影後10分くらいで輪転機が回り始める。だが10年ほど前までは、最先端の技術と労力を注ぎ込み1枚の写真を紙面掲載する──これはそんな時代にフィルムが空を飛んだ実話だ
昭和初期、徐々に電話網が整備され、原稿は受話器越しに伝えられた。速記で書き取る受け手、それを原稿に仕上げるデスク、活字を並べる職人さんなど人海戦術だ。感動するのが「最後から削っても成り立つ原稿」ということ。最後まで活字を並び終える前に締め切りが来ることも多く、当時はそれでも成り立つ文章構成なのだ。ただ、写真に関しては電送するのは難しく、物理的に届けるのが基本だった
近郊の取材で急ぐ場合は、撮影のそばに待機している「オートバイさん=(社内バイク便)」にフィルムを託して本社に届けていた。先輩から聞いた話だが、遠い取材では時間がかかるので鳩の脚に数枚のフィルムを付けて、運ぶこともあったそうだ。鳩は時速60〜80kmくらいで飛ぶので、例えば、福島県から東京まで3時間ほどで届けることができる。鳩にも「どの方面に強い」などの個性があり、取材先に応じて「アサイン」されていたらしい。鳩が寄り道をして届かないこともあり、それを想定して「当て馬」と言われる関連写真を事前に用意する必要があったそうだ。そんな話を新人に語り継ぐと「鳩がフィルムを撮りに来るんですか」と勝手に感動された。そんな優秀な鳩がいるなら今でも過疎地の郵便配達などで活躍しているだろうね
戦後新聞社では自社ヘリなどの運用が始まったけど、撮影はまだフィルム。機上から電送する手段もなく、緊急の場合は、フィルムに小型パラシュートをつけて「ランデブーポイント」に投下していた。受け取った「オートバイさん」が本社に届けるのだ。撮る・落とす・拾う・届ける。分業で成り立っていた「速報体制」に当時の紙媒体の勢いを感じる
そのうちカメラもデジカメに変わり携帯電話が普及すると、機上からの電送が可能になる。携帯電話網が整備されていない頃は、電波が入りやすい高速道路上空をホバリングしてもらい電送していた。パイロットに「この位置、バリ3=(電波強度表示3)」ですと言っていたころが懐かしい
現在は衛星回線でリアルタイム送信も可能だ。でもどんなに技術が進んでも、新聞社では「写真のキャプションは現場入力」が当たり前。高度が高くなると空気が薄くなり揺れやすくなる機内から「6割頭(ろくわりあたま)=(思考力が地上の6割に鈍る)」で文字を打つような場合は大変だ。地上にいても「6割頭」の僕だから、いくら航空手当が付くとしても「乗りたくないなぁ」が本音だけどね