道具

続く魔道具づくり

大学生の理系比率は約35%、政府は技術大国をめざして2032年に50%目標を掲げる。脳科学や教育学では、空間認識・数理パターンの処理・論理的思考の速さには、確かに遺伝や先天的な傾向が大きいとされる。「先天的センス20%説」という人もいる。50%という数合わせは政府の得意とするところだけど、センスを有する20%に投資するほうが「技術大国」への近道じゃないかな

ところで機材を語る理系のようなカメラマンが多く勘違いするけど、おそらくカメラマンの95%は文系だろうね。ニコンZマウントのレンズ内を「スーッ」と通る光路を見て美しさを感じるのが理系であって、「このレンズのボケ感が良い」なんて言う人は理系ではないと思う

理系の僕が新聞社に入社して困った出来事は、「文章が書けない」ということ。外部から見ると報道で働く身なので「書けて当然」と見られるプレッシャーには参った。だがその苦手意識もある日突然解消された。同じ部署の大先輩が新聞協会へ提出する原稿を見た時だ。文章のつながりやリズムはなく「◯◯したら、◯◯になりました」の繰り返し、「中学生の日記か?」と思っていたら、デスクが原型を留めないほど修正して対面を保っていたけどね

むしろ僕が入社した80年代後半はデジカメが出始めたころで、理系脳を十分発揮することができた

98年の長野五輪の頃は130万画素のデジカメが200万円ほどして導入には二の足を踏む新聞社が多かった。これが99年秋にニコンから274万画素のデジカメのD1が65万円で発売され、低価格と性能で大きくデジカメ化への波が押し寄せた。ただ当時最新鋭の機種だったけど弱点があった。「電池が持たない」ということだ。満充電でもせいぜい100枚ちょっとしか撮れない。そこで理系の僕の出番、タミヤのラジコンカーのバッテリーを利用してD1に接続する外部電源を作成したのだ。500枚くらい撮れるようになり、オリンピックなどの国際大会で必須のアイテムになった。その頃から僕は「米田製作所」と呼ばれるようになり、他社からはなんだか変な「魔道具」を作る人のように思われていたらしい

2002年の日韓W杯の頃になると、デジカメ化がさらに進んだ。それに伴いカメラマンから送られてくる膨大な写真も大問題になった。またまた「米田製作所」の出番だ。「(たくさん撮っても)選んで送ってきてよ」という運用が当時の基本だったが、W杯など撮影内容によっては選んでいる時間はない。そこでリアルタイムに撮った写真を垂れ流しでサーバーに送ってもらい、選択やキャプションの入力は東京にいるデスクが行えるようにした。パソコンでサーバーを立てて、受信プログラムを開発したのだ。これがメチャ使いやすくて、開発から25年ほど経つが今もほぼ同じプログラムが動き続けている。技術者が聞いたら運用期間の長さと、変更を必要としない基本設計の良さに驚くかもしれないけど、運用の把握と理系脳さえあればできることだ

カメラマンの撮影の世界って「アマゾンでこんな良い道具見つけました」で使い始め、それを見たカメラマンに伝播していくのが標準的な流れ。それじゃ差別化できない。その点、「米田製作所」で作る「魔道具」は他社の追従を許さない。これが大切なのだ

特にフリーランスになってから気づいたことだけど、撮影に関して文系的な感覚に僕がすり寄っていては、同じような撮り手になってしまい差別化できない気がする。それよりも僕は理系脳をフル活用して撮影すれば良いのだ。ということで僕の「魔道具」製作は今も続く。現在はストロボ光を操る装置を製作中だけど、テストのモデル撮影を終え、実戦投入できるころになれば紹介するつもりだ

ただ気になることは、よくある街で受ける「職務質問」だ。「魔道具」はいかにも手作りで何かの発火装置のようにも見えるので見つかれば即「確保」になるかもね。ただクライアントが見ればインパクト大で撮影の差別化になりそうだ。職務質問を恐れていては「魔道具」作りはできない。理系は感動を呼ぶ現代の「魔法師」のようなものだから

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