道具

銘玉にとっての良き時代

11月から年末にかけて20件近い料理の撮影があった

デジタル一眼のD850を使っていたころまで、料理撮影といえば「AF Micro-Nikkor 70-180mm f/4.5-5.6D ED」というマクロズームレンズをよく使っていた

歪みなども少なく、美術館などではこのレンズを使いたいためにニコンを選ぶことも多かったほどの銘玉だ

発売は1997年、最大撮影倍率1倍が可能な本格マクロズームは以後どこからも発売されていない。そもそも物撮りする一部のカメラマンにとっては好評であるが、離れた距離では解像力が普通なので、風景やポートレートでは物足りない。商業的にも難しかったといえる

僕としては三脚に固定すれば、あとはズームで画角を変え、料理を動かすだけなのでとても便利なレンズなのだ

この1990年代のレンズは設計が微妙な時期に入っている。それ以前のレンズ設計は大変な作業で、パソコンがない時代は光路を手計算する「計算課」みたいな部署があり、1本のレンズを設計するのに何十人という人が何か月もかかったらしい。パソコンで計算できるようになっても、しばらくは基本的に「手計算の延長」のような設計だった

逆に考えればそのころは銘玉の開発陣にとっては良き時代だ。「設計に時間がかかる」「開発費がかかる」などの理由で他社が追従しにくいのだ

また計算課には女性社員も多く、銘玉と共に社内恋愛も生み出し、さらに良き時代を享受した開発陣もいるそうだ

さらに銀塩のころは、評価基準が低くてそれも銘玉たちにとっては有利に働いた。例えばニコンの35mmF1.4など僕も気に入って使っていたが、今のミラーレスで撮ってみるとピントは緩く、色味は黄色かぶりする。それでも銀塩だと欠点が目立たず明るい銘玉として認められていた

それが1999年に発売されたデジタル一眼のD1を機に銘玉の評価基準が厳しくなった。さらにミラーレスが出てきた現在では、レンズマウントも最適化され究極の評価基準になったといえる。よって昔の銘玉が現在の基準では見劣りするし、また比較するべきでもない

2000年前後からパソコンでシミュレーションしながら技術者ひとりでレンズ設計ができるようになり、さらに状況は一変した。銘玉が発売されると他社は簡単にマネできるようになった。他社がマネした時点で悲しくも銘玉は銘玉ではなくなる。そういう状況なので、レンズのラインナップに優等生は並ぶけど、個性のある銘玉は少なくなってきた印象だ

では、銘玉が生まれにくくなった現在は、不幸なのだろうか。僕はそうは思わない。昔は銘玉の個性を通して写真を撮っていた。それが現在のレンズは被写体の情報を損ねることなくストレートに撮影できる。それは個性がなくなったのではなく、情報を事象改変することなくメモリに記憶し、撮影者の意図がより多く反映できるということだ

昔の銘玉を懐かしんで使うオールドレンズファンの気持ちは分かる。だがそれは、野球で走攻守において、欠点の見当たらない大谷選手と個性で時代を魅了したベーブ・ルース選手を比較するようなものだ

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